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水戸地方裁判所 昭和39年(ワ)24号 判決

原告

重内鉱業株式会社

右代表者

戸部光衛

右訴訟代理人

橋本正男

外四名

被告

鈴木俵

外二名

右被告ら訴訟代理人

滝田時彦

外一名

主文

被告らは連帯して原告に対し、金五、九四一万〇、四七八円を支払え。

訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

この判決はかりに執行することができる。

事実《省略》

理由

一原告が俵炭鉱の有していた租鉱区に隣接する鉱区において石炭の採掘取得を目的とする鉱業権を有していたものであり、被告らが俵炭鉱の取締役でありその経営の任にあたつていたものであること、原告が昭和三一年一二月二七日俵炭鉱及び被告らを相手方とし、俵炭鉱が原告鉱区を侵掘したことを理由に損害賠償請求の訴を水戸地方裁判所日立支部に提起したこと、同事件が本庁に回付され前訴事件として係属したところ、昭和三七年一二月一八日右事件につき当事者間に訴訟上の和解が成立し、その和解条項第五項において、「原告の鉱区保全のため、被告会社の車置第一および第二斜坑の排水道坑を使用して原告が排水を必要とする場合の実費は、被告ら四名の連帯負担とする。」旨の被告らの排水費用の負担が約されたこと、以上の事実は、当事者間に争いがない。

二原告が昭和三七年一二月二六日から昭和四四年一二月一三日までの間茨城市県北茨城市磯原町木皿字築地三三一番所在の俵炭鉱第一斜坑において自からの費用をもつて坑内水の排水作業を実施したことは、当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、原告は、昭和三七年一二月二五日俵炭鉱からその第一斜坑における排水設備一切を引き継いたが、そのうち排水用タービンポンプは三台であつたところ、同三八年春ころから第一斜坑における坑内水が漸次増水し従前の排水能力をしのぐほどになつてきたので、その後さらに一五〇馬力タービンポンプ二台を増設したほか、排水管も増強整備したこと、同四四年一一月六日午後五時現在の第一斜坑における排水方法は、水没地点(坑口から斜距離451.712メートル、標高マイナス40.855メートル)付近に設置された引立ポンプで坑内水をいつたん主要ポンプ座(坑口から斜距離400.987メートル、標高マイナス31.079メートル)水溜まで揚水し、右水溜に溜つた坑内水を主要ポンプ座のポンプで坑外に排水する方法であり、また排水設備は、引立ポンプとして三〇馬力タービンポンプ(四インチ排水管に連結)、一〇馬力タービンポンプ(三インチ排水管に連結。ただし運転休止中)各一台、主要ポンプ座のポンプとして一五〇馬力タービンポンプ三台(うち一台は八インチ排水管に連結、二台は六インチ排水管に連結。ただし八インチ排水管に連結したポンプは故障中であり、六インチ排水管に連結した二台のうち一台のポンプは運転休止中)であつたこと、なお従前から第一斜坑における水没地点が坑内水の増減に応じ変動したことのあるほかは、排水方法や主要ポンプ座の位置に大略変わりがなかつたこと、以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

三そこで、原告の前記排水の実施が和解条項第五項にいう「排水を必要とする場合」にあたるものか否かについて検討を加えることとする。

1  〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められ(当事者間に争いのない事実を含む。)、この認定に反する甲第七号証の記載は措信しないし、他に右認定を覆すに足りる証拠は存しない。

(一)  原告は、昭和三〇年ころ俵炭鉱従業員であつた訴外徳永武雄らから俵炭鉱が原告鉱区を侵掘しているとの情報を得、同年七月一一日東京通商産業局平石炭支局(以下「平石炭支局」という。)に俵炭鉱第二斜坑右方面の測量願を提出した。同月一六日平石炭支局係員によつて俵炭鉱第二斜坑右一九、二〇、二一、二二各坑道の測量がなされた結果、右一九、二〇坑道において俵炭鉱が原告鉱区を侵掘していることが一応認められ、同月一九日平石炭支局長は、俵炭鉱に対し、「第二斜坑幹線引立方面右一九、二〇、二一、二二各坑道共貴租鉱区線を超えているものの様であるから当該部分の採掘は即時中止すること、なお各坑道共現場保存の為保持されたい。」旨の勧告書を発し、同月二八日俵炭鉱から右勧告に従う旨の請書が提出された。しかし、俵炭鉱は右測量結果に不服であり、同年八月一七日平石炭支局係員を交え原告と俵炭鉱とが話合つた末、双方及び平石炭支局立会のうえ侵掘状況確認のための測量が実施されることとなり、同月二五日から数日にわたつて俵炭鉱第一及び第二斜坑の測量が実施された。その結果同年一〇月三日測量成果図の照合により、俵炭鉱が第二斜坑右一九坑道において九メートル、二〇坑道において一八メートルそれぞれ原告鉱区を侵掘しており、二一坑道において八メートル原告鉱区との境にある一〇間間隔地(保安のための公有地)を侵掘していることが確認され、そのため測量費用は一切俵炭鉱の負担となつた。原告は、さらに俵炭鉱が第一斜坑右一六坑道において原告鉱区を侵掘しその第四斜坑左三坑道に貫通せしめたとの情報を得たので、俵炭鉱に対し右一六坑道を取明け事実を確認すべきことを求めて交渉したが、俵炭鉱の経済的技術的見地並びに将来の事業計画等を理由とする反対にあつて実現せず、この点の話合は決裂した。

原告は、第一斜坑右一六坑道の侵掘貫通問題がとりわけ重大であると考えていたため、右話合の決裂により俵炭鉱に対する訴訟を決意するにいたり、昭和三一年一一月二七日証拠保全として前記徳永武雄の証人尋問を申請し、同年一二月三日水戸地方裁判所日立支部において同証人の尋問が行なわれ、同人から俵炭鉱が第一斜坑右一六坑道で原告鉱区坑道に侵掘貫通せしめた旨の証言を得るや、同月二七日俵鉱及びその経営者であつた被告ら三名(被告茂、同実は、被告俵の子である。)に対し、原告鉱区から侵掘取得した石炭の価格金二億二三七六万円相当及び侵掘貫通地点からの浸水防止のための防水ダム築造費金一億円相当合計金三億二、〇〇〇万円余の損害を被つたとして、とりあえずそのうち金一億円の支払を求めることを内容とする前訴を提起した。そして、前訴事件においては、俵炭鉱第一斜坑右一六坑道での侵掘貫通の有無が鋭く対立し、原告は、この点を確認するため右一六坑道の取明け鑑定を申請し被告らに再三これに応ずることを求めたが、被告らはこれを拒否し、結局二度にわたる鑑定(①伊木正二鑑定、②山田穣・兼重修鑑定)も侵掘貫通の事実がある場合の浸水の危険性という仮定の前提で行なわれ、さらに昭和三五年一二月末俵炭鉱が事実上休山したので、原告が右一六坑道を取明けるうえでの障害がなくなつたとして改めてその取明け鑑定を求めたものの、同様被告らの反対にあつてこれも実現しなかつた。一方被告らは、前記証拠保全手続での徳永証人の証言の信憑性を強く争い、昭和三三年五月一日、同年六月一九日、同年九月一一日の三回にわたり同人を証人として尋問し、その信用性を糾弾した。俵炭鉱は同三六年一二月末をもつて閉山したが、前訴事件は右一六坑道での侵掘貫通の有無が証拠上必ずしも明らかにならないまま、同三七年一月九日の第二〇回口頭弁論期日において被告ら代理人から和解勧告の希望が述べられ、以来数回にわたり参考人として石炭鉱業合理化事業団東部支部長清宮一郎、炭鉱業者菊池泰二郎両名立会のもとに裁判所からの和解勧告が試みられた。その結果、同年九月八日原告の強く求めていた排水をする場合の実費等を被告らが個人として負担することを拒否したため、いつたん和解打切りもやむなしとの段階にまでいたつたが、同年一〇月一七日ころ被告らが原告の主張を受け入れるとして態度を変えたため、一転して話合が進み、同月二〇日福島県平市において双方代理人並びに前記参考人清宮一郎、同菊池泰二郎両名立会のうえ、大要、俵炭鉱及び被告らが原告に対し金五、〇〇〇万円の支払義務のあることを認め、内金二、〇〇〇万円は現金で(ただし、その資金は俵炭鉱が鉱業権および鉱業設備一切を石炭鉱業合理化事業団に売渡しその代金を充てる。)支払い、残金三、〇〇〇万円は原告代表者戸部光衛個人宛の連帯債務とし別途消費貸借証書を作成すること及び俵炭鉱の排水坑道を使用して原告が排水を必要とする場合の実費を被告らの連帯負担とすることを内容とする約定が成立し、その旨の和解契約書が作成され、同年一二月一八日裁判所の和解期日において右和解契約書と同一内容の訴訟上の和解が成立した。

(二)  俵炭鉱は、昭和三六年一二月末をもつて閉山したのちも、平支部長から俵炭鉱第一斜坑の坑内水が採掘跡を通じ原告鉱区に流入するおそれがあるので排水を実施するようにとの勧告を受けたこともあつて、第一斜坑内水を水位マイナス五〇メートル付近に保つため排水を実施してきたところ、かねて石炭鉱業合理化事業団に申請していた俵炭鉱の鉱業権および鉱業施設一切の買上が前訴事件の和解成立とともに実現することになり、そのため同三七年一二月二一日平支部長から原告に対し、「このたび俵炭鉱が石炭鉱業合理化事業団に買上げを予定され、近日中に同炭鉱の坑口が閉塞されることとなるので排水は中止され、このため一部の坑内水は貴炭鉱中央坑に流入し、危険発生のおそれがあるので至急この流入を防止する等適当な措置をとられたい。」旨の「重内炭鉱の保安確保について(勧告)」と題する書面による勧告が行なわれた。原告は、同月二五日それまで第一斜坑での排水を継続してきた俵炭鉱からその排水設備(石炭鉱業合理化事業団の買上から除外された。)及び排水作業員一切を引き継ぎ、同日付をもつて平石炭支局長宛に自からその排水を実施するための「合併変更(追加)施業案認可申請書」を提出し、第二六日以降引き続き排水を実施してきた。右認可申請にかかる施業案は、昭和三八年一月二六日平石炭支局長により右申請日と同日付をもつて認可された。なお原告は、前訴事件の和解成立に際して、俵炭鉱の前記石炭鉱業合理化事業団に対する買上促進のため、昭和三七年一一月ころ俵炭鉱と連名のうえ、両者間における排水問題の紛争について後日一切右事業団に対しては迷惑をかけない旨の確認書を提出しており、また右買上実現後の同年一二月二五日右事業団との間に、原告が事業団の所有となつた鉱区を通過して坑道を設置し揚排水作業を行なうことを事業団が承諾する旨の「坑道通過に関する契約書」を取り交わした。

さらに昭和三九年八月二四日ころ原告鉱区付近一帯が集中豪雨に見舞われ、原告の排水を実施していた第一斜坑の坑内水が急増し主要ポンプ座が水没するや、同月二八日東京鉱山保安監督部長は原告に対しポンプ座の水没により原告鉱区の保安に関し急迫な危険が認められるとして鉱山保安法第二五条第一項の規定に基づき、「1、俵坑ポンプ座の水没により、平常時水位マイナス五一メートルよりプラス八メートルの地点まで水位が上昇したものと予想され、これがため中央坑は不時出水の危険のおそれが生じたので、マイナス五一メートルまで水位を下げるよう早急に排水措置を行なうこと。(石炭鉱山保安規則第三九六条)」を要旨とする命令書を発したが、そうするうち同年九月一八日から原告鉱区中央坑連卸マイナス一七三メートル付近側壁において数か月間異常出水がみられるにいたつた。加えて平支部長は、同月二四日原告に対し、「台風二〇号の発生があり、その規模も大型のものと報ぜられて当地区もその影響を受けることが予想される現状である。したがつて、旧坑内水の増加も前回の集中豪雨以上になることが考えられるので、旧坑内水の増加程度が前回の最高水位を超えるおそれのあるときは、すみやかに中央坑下部区域の作業を一時中止して労働者を危険区域より退避せしめる等出水による災害の未然防止に努めるよう措置されたい。」旨の「俵坑の排水について(警告)」と題する書面をもつて警告を行なつた。

その後原告は、前記各監督官庁からの指導監督に従つて第一斜坑からの排水を継続してきたところ、昭和四四年一〇月三一日をもつて原告鉱区での採炭を中止し同年一二月末までに坑内諸設備の撤収も終り閉山するにいたつたので、第一斜坑からの排水作業も同月一三日に打切つた。

(三)  俵炭鉱は比較的浅部採掘が行なわれていたため、地表水の滲透度が高くその影響を受けやすい状態にあつたうえ、かつて茨城無煙炭株式会社が俵炭鉱及び隣接各炭鉱(原告鉱区は除く。)を全般的に統轄採掘していたことがあつたため、各炭鉱間に保安間隔地の如きが存しないばかりか、坑道の連絡し合つているものもあつて相互に坑内水の流動が可能であつたのであり、しかも俵炭鉱の閉山前に隣接する須藤炭鉱、山下炭鉱等が相次いで閉山しつつあり、それらの坑内水の排水が停止されるにともない俵炭鉱での坑内水の増加が当然予想されるところであつた。ちなみに俵炭鉱は、隣接する須藤炭鉱が閉山するに際し自坑の坑内水が増加すると異議を申述べ、同炭鉱に排水坑道を掘さくさせて自坑内の坑内水の増加を予防する措置をとらしめた。なお原告鉱区は、俵炭鉱及び隣接する右各炭鉱とは保安間隔地、保安炭壁等で隔絶されており、坑内水の流動性はなかつた。

2  原告は、俵炭鉱が第一斜坑右一六坑道において原告鉱区を侵掘し原告鉱区第四斜坑左三坑道に貫通せしめたと主張するので、この点につき判断するに、当裁判所は、本件に顕われた全証拠を仔細に検討するも、右侵掘による貫通の事実につき心証を形成するにはいまだ不十分である。

すなわち、〈証拠〉によれば、昭和三九年八月二四日の集中豪雨により原告の排水していた第一斜坑の主要ポンプ座が水没し排水が不能となり同坑の水位が上昇するや、同年九月一八日原告鉱区中央坑道連卸マイナス一七三メートル付近側壁から異常な流出水がみられたこと、そして、同月一九日から第一斜坑での排水を強化実施し同坑の水位を下げるにともない右中央坑連卸の流出水も漸減し、同四〇年一月一三日水位をマイナス三九メートルまで下げるや、右流出水もなくなつたことが認められ、第一斜坑の水位と原告鉱区での流出水との間に因果関係が存在することが推認されるのみならず、〈証拠〉によると、俵炭鉱の従業員であつた徳永は、俵炭鉱が昭和二八年一二月ころから原告鉱区を侵掘し、同三〇年三月一〇日ころ第一斜坑右一六坑道において原告鉱区第四斜坑左三坑道に貫通せしめたことを現認、かつ侵掘部の測量を行なつた旨供述しており、〈証拠〉(徳永作成の手帳)、〈証拠〉(同野帳)、〈証拠〉(同トランシットブック)、〈証拠〉(同俵炭鉱坑内実測図)が存する。さらに〈証拠〉中にも右侵掘貫通した旨の原告の主張にそう部分があるうえ、前示のとおり監督官庁も侵掘貫通があつたことを前提に勧告命令等を行なつていたように解されるのである。したがつて、これらの諸点からすれば、俵炭鉱が原告鉱区坑道に貫通せしめたという原告の主張もあながち根拠のないことではないように思われる。

しかしながら、一方、〈証拠〉によれば、前記徳永は、俵炭鉱入社に際し学歴、経歴等を詐称し虚偽の履歴書を提出しているうえ、前訴事件における証人尋問に際しても虚偽の学歴、経歴等を供述していること、また本件侵掘貫通の問題に関しては事前に原告側と接触をもち酒食のもてなし、金員の提供を受けていたばかりか、その後俵炭鉱を退職し原告側の世話で原告代表者戸部光衛が代表取締役をしていた福岡県の日本炭鉱株式会社に息子ともども就職していることが認められるのであり、右認定事実から窺われる同人の性格、原告との結びつき等からして、原告の主張にそう同人の供述部分及び同人作成の手帳等の内容はたやすく措信し得るものでなく、また〈証拠〉はいずれも伝聞あるいは各自の見解というべきものであつてにわかに信用するわけにはいかず、さらに監督官庁の判断も独自の調査に基づいて貫通を確認したわけではなく、もつぱら原告側の申出に基づいているものであることを考えると、前顕諸証拠からただちに原告主張の侵掘貫通の事実を認めることは困難であるのみならず、前段説示のとおり第一斜坑の水位と原告鉱区の流出水とが因果関係を有するものと推認されるけれども、この点から直ちに原告主張の侵掘貫通の事実を認めるわけにはいかない。

さようなわけで、前段挙示の諸証拠および事実関係からは侵掘貫通の事実を認めるには十分でなく、他に右事実を認めるに足りる証拠もないから、原告のこの点の主張はしよせん採用の限りでない。

3  ところで、前訴事件以来双方にとつて主要な争点となつていたのは前記侵掘貫通の事実の有無についてであり、前示のとおりこの点が証拠上明らかにならないとすれば、俵炭鉱第一斜坑の坑内水が貫通個所を超えて原告鉱区内に流入したとはいい得ないわけであるから、本件における排水の必要性は否定さるべきであるとの考え方もあり得よう。たしかに、侵掘貫通を不法行為としてとらえ損害賠償を請求する事案にあつては、立証不十分として該請求は排斥を免れないかもしれない。しかしながら、翻つて考えてみると、本訴は、前記和解調書の和解条項五項に基づく排水費用の請求であるから、その排水の必要性の意義はもつぱら右和解条項の解釈に則つて明らかにされなければならない筋合である。しかして、既に三1(一)で説示したとおり前記訴訟上の和解の成立した経緯についてみると、前訴事件において原告が俵炭鉱の不法侵掘を主張し、俵炭鉱第二斜坑右一九、二〇坑道では原告鉱区を侵掘していることが明らかにされたものの、俵炭鉱第一斜坑右一六坑道において原告鉱区坑道に貫通せしめたとの点については双方鋭く対立し証拠上該事実を断念するにいたらないまま、双方の互譲により前記和解が成立しているのであるが、右侵掘貫通の点については全く証拠がなかつたわけでもなく証拠調の結果では一応の疑のあることは否めなかつたのであり、また被告らはあくまで原告の主張する貫通部分の取明けを拒否したのである。したがつて、前記和解は、右侵掘貫通の事実の有無の究明はしばらくおき一応の疑を前提になされているというべきであるから、和解条項第五項にいう排水の必要性も右侵掘貫通の事実を確定することまで要求しているものとは解せられない。

そして、本件では前記三1(二)及び(三)で説示したとおり、原告は前記和解成立後、東京鉱山保安監督部あるいは平支部長らから坑内労働者の安全確保、災害予防の見地からする俵炭鉱第一斜坑内水の排水実施の勧告命令等を受けており、とりわけ昭和三九年八月二八日付東京鉱山保安監督部長による鉱山保安法第二五条第一項に基づく命令については、これに違反するときは同法第五五条第二号により罰則の適用を受けるおそれがあるほか、同法第二四条鉱業法第五五条第一項第六号等により鉱業の停止、鉱業権の取消し等の行政処分を受けるおそれもあつた。のみならず、原告は、鉱山保安法第四条第一号により坑内出水の防止のため必要な措置を講ずべきことを義務づけられており、前示のとおり自から俵炭鉱第一斜坑における坑内水を排水するため新たな排水坑、排気立坑を開設することを内容とする施業案の認可を受けていたのである。してみれば、原告が第一斜坑内水を排水することは、自からの鉱区における鉱業の実施と坑内労働者の安全のため必要やむを得なかつたものというべきであり、これらの点にこれまで説示したところを総合検討するとき、本件における原告の排水の実施については、前記和解条項第五項にいう「排水を必要とする場合」の要件を満たしているものと認めるのが相当である。

四被告らの抗弁について判断する。

1  まず被告らは、前記訴訟上の和解は公序良俗に反し無効であると主張する。なるほど前記認定のとおり原告側が侵掘貫通の有無につき重要な証言をした訴外徳永武雄に対し事前に接触をもち酒食のもてなし、金員の提供をし、さらにその後同人を原告代表者の関係する日本炭鉱株式会社に息子ともども雇用していることが認められ、さような態度は批判されてもやむを得ないし、また〈証拠〉によれば、原告は、前訴事件における損害賠償請求権を保全するとして俵炭鉱の鉱業施設に対し仮差押の執行をしたこと、俵炭鉱は、炭鉱業界の不況にともない業績が悪化して多額の借財を負い鉱業施設等一切の買上を石炭鉱業合理化事業団に申請しその買上金をもつて債務を決済することとして昭和三六年末には閉山するにいたつたが、前記仮差押の執行がなされていたためこれが右事業団の買上の障害となつたところ、昭和三七年一月三〇日には水戸地方裁判所に退職手当金、予告手当金、貸金、売掛代金等の支払を求める労働組合や取引先からの調停申立がなされるに及び、早期に前記仮差押の執行を解除して右事業団の買上を実現する必要に迫られていたことが認められる。

しかしながら、原告が訴外徳永と相謀つて証拠を偽造し同人に偽証をなさしめたとか、前記仮差押の執行が他の不当な目的をもつてした全く理由のない濫用にわたるものであるとか、原告が被告らを故意に窮状に陥れこれに乗じて和解を強要したなどの点についてはこれを認めるに足りる証拠はないのみならず、そもそも、前記和解は、双方代理人及び参考人出頭のうえ、裁判所の面前で合意の内容が申述されているのであつて、特段の事情がないかぎり公序良俗違反ということは考えられないのであり、以上に既に説示した前記和解の成立にいたる経緯を考えてみると、前記和解が公序良俗違反といえないことは明らかであろう。

よつて、被告らのこの点の抗弁は採用の限りでない。

2  次に被告らは、前記和解条項第五項の排水費用の負担は、被告らにおいて真実かかる費用を負担する意思なくして約定したものであり、原告もこの被告らの真意を了知していたのであるから、右条項は何ら効力を生じない旨いわゆる心裡留保の主張をする。

〈証拠〉によれば、前記和解は金額的には総額金五、〇〇〇万円で話合がつき、内金三、〇〇〇万円は原告代表者戸部光衛個人宛に消費貸借証書を作成することとし、その支払はいわゆる出世払としたこと、当時被告らは俵炭鉱の債務の返済に追われ資金的な余裕がなかつたことが認められるうえに、証人滝田時彦は、排水費用の負担の条項は原告の面子を保つための大義名分として入れたものであり、原告代表者もこの点承知していた旨の被告らの主張にその証言をしている。

そこで考えてみるに、たしかに被告らが今後どれ位続くのか予測し難い期間の排水に要した費用を負担しなければならないとすれば、金額的にも多額にのぼる支出を余儀なくされるのであるから、被告らにとつて酷な面がないとはいえないであろう。

しかしながら、既に説示したとおり、被告らが排水費用の負担を約するか否かが最終的な和解成否の問題点となつていたのであつて、被告らがこれを拒否したため、いつたん話合が決裂し、その後被告らが態度を改めこの負担を承諾した結果前記和解の成立をみるにいたつたのである。したがつて、排水費用の負担の条項がもし被告ら主張のように双方合意のうえ形式的に挿入されたものにすぎないというのであれば、何故被告らが当初この負担を拒否し話合がいつたん決裂する事態となつたのか理解に苦しむところである。結局上来説示の和解成立にいたる経緯に徴すれば、被告らの主張にそう前記諸証拠をもつてしても、心裡留保の事実を認めるに足りるものとはいえないし、他に右事実を認めるに足りる証拠は存在しない。

よつて、被告らのこの点の抗弁も採用できない。

五原告の実施した前記排水の費用につき被告らの負担すべき実費額を検討する。

〈証拠〉によれば、原告は、俵炭鉱第一斜坑の坑内水の排水を実施するにつきその費用の負担を被告らに求めるため、排水作業を引き継いだ昭和四七年一二月から原告鉱区分と区別して右排水に要した費用のみ別途記帳しその金額を明らかにすることとし、毎月分の費用を、排水に従事した労働者の賃金及び保険料、資材費、電力料理等の費目に分けて集計したうえ元帳(乙第九号証)を作成し、右元張に基づきほぼ毎月分の請求書を被告らに対し送付していたこと、原告側の作成した元帳及び請求書による費用の明細は、別紙「旧俵炭鉱排水費内訳表」記載(ただし、昭和四二年一二月分の賃金欄中「95,040」とあるのは「101,094」と、同保険料欄「26,075」とあるのは「20,021」と、昭和四二年度分小計の賃金欄「2,540,429」とあるのは「2,546,483」と、同保険料欄「281,023」とあるのは「274,969」と、昭和四三年九月分の賃金欄「205,779」とあるのは「205,979」と、総計の賃金欄「20,159,306」とあるのは「20,165,350」と、同保険料欄「2,274,728」とあるのは「2,268,674」とそれぞれ訂正する。)のとおりであり、その費用総額は合計金五、九四一万〇、四七八円となることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、原告は前記排水費用としてその主張のとおり金五、九四一万〇、四七八円の支出を余儀なくされたものと推認される。

そうであるとすれば、排水費用に関する前示約定により、被告らは連帯のうえ、原告に対し、金五、九四一万〇、四七八円を支払うべき義務を有するものといわなければならない。

六以上により、被告らに対し、連帯して金五、九四一万〇、四七八円を支払うべきことを求める原告の本訴請求は、いずれも正当として認容すべきである。よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(石崎政男 長久保武 武田聿弘)

〈旧俵炭鉱排水費内訳表省略〉

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